わかりやすい物理学・生物学入門

最近なんだか宇宙とか物質とか生命とか気になりだしてきたので。難しいけど楽しいとおもうのです。

受精卵ゲノム編集と進化論への疑問

中国では受精卵レベルでのゲノム編集の実験が実施されているという。
日本でも基礎研究に限り、日本でも「ヒト受精卵のゲノム編集」が容認へ。

ゲノム編集とは、わかりやすくいうと遺伝子の人工操作、遺伝子デザイン技術になる。
極論でいうと、みんな筋骨隆々の美形で聡明で能力が高く障害のない人間を作り出そうとすれば、ほとんどの受精卵を編集作業することで生み出すことが可能にできるバイオテクのロージーといったところだ。

みんな韓国の美容整形を受けなくても美男美女揃いで運動神経が良くて暗記が得意な人間ばかり!というのも現実的になりそうな技術だそうです。


倫理的な問題がキリスト教支持の諸外国では論争の的になっているようだが、倫理ってそもそもなんでしょうかね。


核弾頭をいうことを聞かない野蛮な国に落とすこでしょうか。

自分の信仰や利害関係の合意ができないもの同士で、自爆テロ空爆を繰り返すことでしょうか。全く無関係で他人が大切にする人を巻き込んでの殺傷行為でしょうか。

未開の地に乗り込んで、原住民を根絶やしにすることでしょうか。

幻覚作用のある植物や薬品、エネルギー資源の利害を守るために同種族の頸椎から上を切断したりして見せしめにする行為でしょうか。


これが倫理というのでしょうかね。

 

そもそも倫理というものはイニシアチブを持っていると誤認した人間の主観によってのみ成立しているだけで、本当は存在しておらず、どうでもいいことの総称ではないかと思います。


倫理なんていらない。古来人間は知りえた情報や技術はすべて使ってきているわけですから。


また、「進化」という言葉に違和感を覚えます。

Google検索すると一番目にはなぜかラーメン屋さんがでているのも皮肉な進化ですね。少なくとも日本においては倫理にもつながる検索結果で、集約するとこういうことだと感じます。「進化」という言葉がミスマッチなのはGoogle検索によっても証明されているのかもしれませんね。


「生物が、単純微小な原始生命から、段階的に、複雑多様なものへと変化して来たこと。更に広く、事物が一層すぐれたものに発展すること。」


これは適者保存による継承と伝達作業だけで、進んで化けているわけではないので、言葉の違和感を感じますし、決して進化して優れているもになっているわけではないので、進化論という呼称は不適切だとしたいです。

優れているというのはあくまで人間主観の目線で、ただ単に適合者が存続できていること。適者生存という観点で言い換えれば、企業の事業縮小で残った社員が果たして優れているのか?ということで考えれば、”そうではないな”と感じるのは、企業生命が終焉した段階ででしょうか。


むしろ「継承論」とした方がラーメン屋さんがGoogle検索で一番目にでてこなくなるのではないでしょうか。
生命体は知識や技術の伝承を繰り返しているだけであって、それほど
”進化”できているようには到底考えられないし、何十億年と続くとされる地球の歴史からみても、絶滅したといわれる種は数多く、人間の社会においてはただだか数千年で何が進化できるのだろうということもあります。”進歩”とか”躍進”などという体のいい言葉はどれも不適切で、ただ単に伝承して”継承”しているだけではないかと。


結論からいえば、受精卵のゲノム編集はどんどんやったほうがいいし、特異種が生まれかもしれないが、それは人間が享受すべき”継承”であって、そのことで依願退職者を募る企業が増えてもやむなしとなっていくべきではないかと思います。


そもそも人間の歴史はそういった生命の知的活動の犠牲の上になりたった歴史でもあり、もしも”倫理”を徹底して受精卵ベースのゲノム編集を操作できるようになったならば、人類は自然消滅するではないかと予想されます。


そもそも受精卵のゲノム編集は、”倫理”的に使われることはなく、軍事目的や国家侵略戦略的に使用されるだけでしょうね。


受精卵ゲノム編集でいえば、100mを7秒台で走れる人間を量産することができるかもしれないし、ミレニアム懸賞問題はどんどん解決できる人が出てくるかもしれないし、そのような人為的なバージョンアップも、果たして進化という言葉は成立するのでしょうか。

例えば時速500kmで移動できるリニアが存在するのに、たかだか時速40km前後で100mを7秒台で走れるということに、果たして本当にそれほど深い大きな意味があるのでしょうか。