いってしまえば、合理化こそが人間の生きる目的。
今回は思春期に多くの若者が抱きやすいテーマである人間の存在意義および存続意義についての結論です。
すべての簡潔な回答までは導くことは難しいのですが、おおむね人間の生きる目的は以下の2つに要約できました。
それは"継承"と"合理"の2つです。
■人が生きる目的である"継承"とは
継承とは受け継ぐことですが、人間以外のたいていの動物の場合、種の存続を目的として継承することが多い。
ところが、人間の場合の継承は適者生存における種の継承とはことなり、知識や文化、社会や歴史といった複雑で適者生存にはあまり関係しない副産物をあらゆる分野で大量に継承しつづけています。
人間以外の多くの生物の場合は適者生存における種の保存を目的とした能力や生態を伝承するのに比べ、その多くは種の保存に必要のない要素を伝承していくために生きているともいえます。
それは数十万年前に出現したとされる人類の祖先が、現代社会における大量の伝承物がない状態でも種の保存が可能だったことで、いかに種の継承に必要性がないことが多いかが予測される。
継承というと他の生物も絶滅しないかぎり、なんらかの継承をしているが、ほとんどは種の継承で完了してしまう。
だから厳密にいうと、人間の場合は人間単体での存在意義はすくなく"情報の継承"を何十万年も継続していることが、人間の生きている目的の一つともいえ、拘束力の曖昧な義務とも言える。
なぜ情報の継承をしているのかは、はっきりいってわからない。
他の生物の多くが、生きるというプログラムをされたシンプルな生命体であるのに比べると、なぜ人間だけが情報を継承し続けているのかという疑問は、数百年のうちに人間が回答できる可能性が高い気がする。
■人が生きる目的である"合理"とは
合理とは物事の理に合っていることだが、人間が生きる目的のひとつに合理性の探求がある。
継承を軸にして、合理化を脈々と連ねているのが人類の歴史です。
すこし前でわかりやすい事例でいうと産業革命なんかがわかりやすいですね。
家内制手工業から工場性手工業に遷移した間隔ですが、多くの労働者が露頭に迷ったということですが、現在の方が裕福で恵まれていることからも人工知能がどれだけ発達しようとも、ホーキング博士がいうほど恐れることではないような気がします。
だって、どのような合理性で現代の職業が消滅しようとそんなことは心配することじゃないのではと。どうせ淘汰されるべきものは淘汰される定であるのだから。
しかしなぜ人間は合理性を探求しているのかは理解できない。マイノリティは否定的な見解を示すことが多いが、そういうマイノリティに限って、合理性の恩恵を享受している割合が高かったりします。
究極的に人類の生活を合理化したらどうなるのかと思惑を巡らすととても興味深いですね。
そもそも合理的になることに意義を置いていくことで、何を得ることができるのでしょうか。
人の主観的な視点だけでいうと、合理からの利便性の恩恵がありますが、果たしてその利便性の恩恵自体が人間自身の主観をはぶいたときに、どのような意義や役割を担っているのか。
その先になにかあるのか、ないのかは不明だし、人間本位の主観的な知見においては何もない可能性が高い。