赤方偏移とは
赤方偏移(せきほうへんい)とは、天体が遠ざかることでスペクトル線の波長が、赤い方へずれていくこと。
赤方偏移についてはいくつかの説があるが、1842年、ドップラーにより発見されたドップラー効果の原理が支持されることが多い。
ドップラー効果とは、光や音の波がが観測者に近づくにつれ波長が短縮され、離れていくほど波長が長くなる現象のこと。
赤方偏移を説明することはどのような現象が元になっているかは実は確証は得られていないが、天体が遠方へ離れるほど赤い方へずれるということをもとに、宇宙の膨張や距離を推測するために使用されている。
とにかく人知では確実に証明できない事柄が多いため、あくまで支持されやすい学説や現象が主流となる傾向が多い。
反意語は青方偏移(せいほうへんい)。
迷い事に関する一つの考察
ある程度分別ある人であれば、誰もが直面しがちな『迷い事』。
迷いが発生するまでのプロセスは、おそらく、その人がもつ脳細胞の反応の癖と、経験や体験を通しての演繹的な性質がおおきく影響しているのだろう。
帰納法的に判断することは、以外に迷わずに無意識的に人は判断と決定のプロセスをコンマ何秒かで行っているはずだ。
あつあつのコーヒーを少しずつすするのは、やけどしないための判断に迷いがないためだ。
だが、砂糖やミルクを入れるか、二杯目を飲むかなどは意外に悩む人もいるはずだ。
極端に俯瞰して考えると、迷いなんてものの本質は実はどうでもよい判断思考の停止ではないかとさえ感じる。
迷うということは、主に個人の利害関係に影響を持ち、それまでの経験や体験、自己の反応の方法では処理しずらい未知の分野である可能性が高いと思う。
一方、結果がほぼわかっていながら、その判断を実行せずに未処理のまま、もしくは近い将来にほぼ確実に同じ決断をするのに保留状態のままの迷いがある。
とするならば、迷いは大きく二つに分類される。
類推などに基づいても判断がつけにくい、決定の難易度が高くブラックボックスで、なにかしらのリスクが高い迷いと、すでに決定されている、いわゆる帰納法で結論づけられる事柄に対しての決断や行動を実行するこをとためらっている迷い。
前者は明確に迷いということがいえるが、後者の場合、はたして迷い分類されるかどうかは、まさに迷うところだ。
すでに結果がほぼ決まっていることに対する迷いは、重要度や緊急性は皆無で、もはや迷いではなく怠慢や浪費であるとすべきだ。
では、なぜ多くの人は、この怠慢や浪費とされる迷いを先延ばしにするのだろうか。
そこには心理的な抵抗や摩擦や、事態が変わると思われる可能性や根拠のない希望的観測があるからだろう。
実にくだらない迷いであっても、すこし間を持つことによって、思いもよらない結果に展開することもある。決断を急ぎすぎることで、さらに悩みを複雑かつ肥大化させてしまうことも多いことがある。
であれば、この怠慢な迷いも十把一絡げに無駄で不要なものであるともいいがたく、恩恵が期待できる迷い事であることになる。
逆に、緊急性や重要性が高い迷い事を深刻に考えて迷うこともあるが、時空間の未来に存在する結果がひとつだけとするのであれば、迷うこと自体が無駄な立ち止まりであり、一見仰々しい迷い事ほど、結果に対して圧倒的な重力が働いている場合があり、未来において迷いが一切の意味を持たないこともあります。
ただこの重要な迷いも、やはり怠慢な迷いと同じで、迷うという意志決定をしている間に大きく迷いの原因や大きな重力が消滅してしまうこともあり、迷うという思考活動の対価を考える場合には、とても意味があることであったりする。
しかし、迷うという思考活動自体が全くもって無駄な場合も多く、矛と盾感が半端ないわけである。多くの人は、この相反する事実をどこかで感じながらも、怠慢や迷いと重要な迷いを繰り返している。
以上のようなことから考えれらるのは、迷いがほとんどなく無作為に決断を重ねる人というのは、頭がおかしいだけかシンプルな阿呆であり、逆に迷いすぎる人間というのも同様と考えることができるわけだ。ただし、ここでは阿呆が良いか悪いかは一切判断しないものとする。
であるから迷い事というのは、人の一生において多くの時間を費やし、選択という意思決定を際限なく求める、人間がもつ一種の防衛本能なのであると結論づけられる。
コペンハーゲン解釈 [わかりやすい物理学入門]
コペンハーゲン解釈とは、量子力学の代表的な考え方、解釈の一つ。
デンマークのコペンハーゲンにある、ニールス・ボーアの研究所で提唱されたため、そのような名称になっている。
量子力学では主流的な解釈とされる。
量子力学の状態では、物質はいくつかの異なる状態で重ね合わさりとされている。観測者の状態によって、観測値はどちらかの状態とも言える、「波束の収縮」が起こると解釈する。
はっきりいってよくわかりません。
噛み砕くと、素粒子は波でもあり粒でもあり、それを観測する人の状態によって確立論的に、その粒でも波でもある素粒子の状態が異なっている、ということ。たぶん。
この解釈は、物理学に確率は存在しないとする、アインシュタインなどからも反論を受けていたようだが、理論を覆すほどの決めてにかけていたため、正当な理論とされてきている。
電磁波とは[わかりやすい物理学入門]
電磁波とは『電場』と『磁場』の波とされています。
ちょっとわかりずらいのですが、電気の影響が及ぶ範囲を『電場』といい、磁気の影響がおよぶ範囲を『磁場』といいます。
これでもさらにわかりずらいのですが、『電場』とは素粒子という現在人間が理解している物質の一番ちいさい粒に電荷(でんか)という性質があり、その電気的な性質に影響がでいる空間?のことです。
『磁場』とは、N極(+極)とS極(-極)という力が働いて影響している空間のことです。
とても分かりにくいので電気的な性質が動く領域と磁石的な性質が動く領域?ぐらいしたほうが悩まなくてよいでしょう。
それを踏まえて、電磁波とは、電気と磁気の両方の特徴を持ち合わせた『波』のことです。
電磁波とは、その名前通り、電場と磁場が影響しあってできている波、波長のことです。
電磁波はいくつか種類があり、1秒間に生じる波の変化の大きさを『周波数』で表現され、ラジオなどで使用される周波数という表現がまさに電磁波です。
電磁波の周波数は、波の変化の大きい順から、X線やガンマ線などの電離放射線、太陽光などから発生する紫外線、人の目に見える光である可視光線、電化製品などに利用される赤外線、テレビやラジオなどの放送を発信する電波などにわかれ、周波数の大きさによって使い分けられています。